こんにちは。ケンゴンです。
今回は岸見一郎さんの『ゆっくり学ぶ』です。
岸見さんはアドラー心理学について書かれた「嫌われる勇気」で有名ですね。
ちなみにアドラー心理学について、トラウマは存在しないと断言するアドラー先生は厳しすぎて、ちょっと苦手です。
学ぶ事自体に幸福を見出すことが正しい学び方と著者は言います。
何のために学ぶか?すら考えなくてよいと。
学ぶことそれ自体が喜び
試験勉強は大学に入るためであっても、勉強しているその時が苦痛でたまらないというのはおかしいのです。幸福が学びの目的であるとしても、何かを学び終えて幸福になるのではなく、学んでいるその過程において幸福であるのです。
学ぶことについても、今まなんでいる時に苦痛しか感じられないような仕方で学ぶ必要はないということです。学んでいるその過程が既に幸福であると感じられる学び方があっていいはずです。
ある資格試験に向けて勉強していた時期がありました。3年間程勉強して3回受験しましたが、合格出来ませんでした。3年間の勉強は無駄だったという考えもありますが、自分は勉強している時間自体が楽しかったので「まあいいか」という気持ちです。
負け惜しみの感情から、そう思っているのか?と改めて考えてみましたが、そんなモヤモヤした気持ちはなく、まあいいかと思えるのです。まあ、またゆっくり勉強して、そのうち取得できればいいかなと思ってます。仕事関連の資格でしたが、仕事で絶対に必要だから欲しい資格、というわけではなく、半ば趣味に近いような資格だからかもしれませんが。
苦痛を感じながら学ぶという行為は、おかしな行為と思っています。その分野がそもそも自分にとって学ぶべき分野ではない、もしくは学ぶ方法が間違っている、と認識して、軌道修正をかけるべきです。
苦痛を感じながらテキストを読んで、問題演習をしても、頭に入ってこないですね。
時間ばかりかかって、得られる成果が小さすぎる。
他者貢献があれば絶望しない
さらに、私は受験のための勉強であっても知らないことを知ることは喜びであり、入学試験に合格するために勉強するために勉強するのではなく、医師になることで他者に貢献したいという思いがあれば、勉強は苦痛にならないという話をこの青年にしました。
もしも彼が医師になることで成功したい、そのために他者との競争に勝たなければならないと思っているのであれば、仕事をしながら受験勉強を続けることは難しいということも指摘しました。
他者貢献とは、アドラー心理学の著書嫌われる勇気でも語られていたワードです。幸せの為には、仲間である他者に対して、何らかの働きかけをおこない、貢献しようとすることが必要であるという考えです。
知る喜びと、他者貢献というモチベーションがあれば、受験勉強は苦ではなく、むしろ快である。ということでしょう。
医学部、会計士、司法試験レベルの難関試験は、試験勉強を苦と感じながらするような勉強で通る程甘くはないと、逆に思います。難関資格は苦しい思いをした勉強の先に取得できる、みたいな考えがイメージとして一般的ですが。
やってみたいことはすぐ始める
若い頃から、何かを学ぶ時に結果を出せなければ意味がないと思い込んで来た人は、歳がいってから何か新しい事を学ぼうと思ったときも結果を出せるか出せないかという考えに囚われてしまうのです。
やってみたいことがあれば、すぐに始めるのがいいです。今から学んでも果たしてものになるのだろうかというようなことを考え始めるといつまでもできません。例え途中で学ぶのをやめても、必ず残るものがあります。
学びたいと直感的に思ったことがあれば、それを学んでどうなるのか結果をあまり考えず、過程を楽しめればいいのだと思います。
よい結果があればオマケ。そんなふうに考えて、ライトに色々学んでいければ、日々楽しく過ごせるなと思います。
ゆっくり、焦らず、過程を楽しめるような学びを続けて参りましょう。
以上、ケンゴンでした。
それではヒュッゲな一日を。