書評

ドライヤーで髪を乾かす過程を楽しめるか?

『#「ありがとう」の教科書』武田双雲著(すばる舎)です。

著者は書道家である武田双雲氏。著者は感謝は技術であるという。
30の技術をまとめた、「ありがとう」の本。

ドライヤーで髪を乾かす過程を楽しめるか?

下記は、ドライヤーに対して感謝の念をもって、髪を乾かすという話の一節。

髪が濡れた状態をA地点とし、乾いた状態をB地点とする、A地点でいることに相対性な価値は低く、だから私は急いでB地点に行こうとします。
しかし「早くB地点にいかなきゃ」と思う事は、未来に意識が向き、今を生きていない状態と言えます。

これは私がここ数年、毎朝シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かす度に全く同じことを思っていた。それがこの本に同じ事が書かれていて、更なる考えに共感した。

昔の私は、濡れた髪の不快感がとにかく嫌で、早く乾いた状態にしたい、早く済ませたい、という一心で、ドライヤーをかけていた。

しかし、今では、ドライヤーの熱量、風が髪の間を通り過ぎていく感覚、段々と髪が乾いていく変化の様を、感じ取るようにして、その過程を楽しんでいる。イマココを感じるようにしてる。プチ修行、プチマインドフルネスだ。

そして、面倒くさいと思えることに対して、感謝をしながら楽しんだ方がいいという著者の提言。「面倒くさいことがない世界は、とても生きやすいです。」その発想はなかった。面白い。その世界は生きやすそうだ。

感謝の反対は「当たり前」

感謝と相反するものは「当たり前」です。
感謝せず、それが当たり前だと思っていると、結果として人が離れて行きます。

当たり前。すなわち「慣れ」。
何にでも繰り返すことによって、物事は良くも悪くも慣れてしまう。慣れることで恐怖や不安を克服することができる。最初は不慣れな仕事でも、繰り返していくうちに慣れて、パフォーマンスを上げることができるだろう。良い面もあるが、慣れて当たり前だと思ってしまうことで、自分の傲慢さを露呈させてしまう。

そんな悪い「慣れ」に唯一対抗できるのが「感謝」する行為である、ということ。
「ありがとう」とは「有難い」と書く。有ることが難しい、滅多にないことである、当たり前ではないということである。そんな意味を持つ言葉が、「感謝」を表す言葉である日本語が好きだ。

最後まで読んでくれて、有難うございました。

以上、ケンゴンでした。
それではヒュッゲな一日を。