書評

快楽と苦痛のシーソー。

こんにちは。ケンゴンです。

今回は『#ドーパミン中毒』 アンナ・レンブケ著(新潮社)です。
スタンフォード大学教授が伝授する、現代人のための「依存症からの脱出法」と銘打たれた新書です。

本書で刺さったのはシーソーに例えたお話。

快楽と苦痛のシーソー


神経科学における発見によると、快楽と苦痛は脳の同一の部分で処理される、とのことだ。
快楽と苦痛はシーソーの両極のように働く。

ある一方が高まると、一方は減少する。そして、シーソーは平行を保とうとするため、反動が起こり、両極が逆転する。

つまり、快楽の後には反動で苦痛が、苦痛の後には反動で快楽を感じる仕組みになっているというのだ。

断続的に苦痛に晒されることによって、私達の快楽苦痛のシーソーが快楽の側に偏り、時間と共に苦痛を感じにくく、快楽を感じやすくさせるのである。

この文は、快楽と苦痛を逆に置き換えることができる
シーソーの原理で言えばそのはずである。

つまり、「断続的に快楽に晒されることによって、私達の苦痛快楽のシーソーが苦痛の側に偏り、時間と共に快楽を感じにくく、苦痛を感じやすくさせるのである。」と。

普段、我々がやっているのはこっち側。酒、ジャンクフード、ギャンブル、SNS…
これらに溺れ、我々は苦痛を感じやすくなっている。
しかし、その逆もしかりということだ。

意図して、苦痛を晒すことによって、快楽を感じさせること。
これはまさに、サウナの水風呂や筋トレに通じている原理なのではないかと思った。

あえて、水風呂という苦痛に体を晒す、あえて、筋トレで筋繊維を痛めつける。
その後に、水風呂であれば整い感、筋トレ後であればスッキリ感が得られる。

著書の中では、運動、散歩について触れ、下記のように締めくくっている。

しかし、苦痛を追い求めるのは快楽を追い求めることよりも難しい。苦痛を避け、快楽を追い求めようとする人間の自然な傾向に反するからである。認知的不可も高い。というのは、この苦痛の後には快楽が来るのだと「覚えて」おかなければならないからで、私達はこの手のことは驚く程わすれがちだ。私自身も、毎朝、ベッドから身を起こし、運動しに行くのが本当に大変で、苦痛の教訓を毎日自分に言い聞かせなくてはならない。

私は筋トレや散歩が全然続かない。
苦痛の後に快楽があり、それが感じやすくなる体質になれるという教訓を毎日思い出して、なんとか続けていける日々が来ることを期待している。

以上ケンゴンでした。
それでは、ヒュッゲな一日を。