書評

『なぜ』に触れない学びは苦痛を伴いやすいものである。

『#独学の教室』読書猿他 著(インターナショナル新書)

とある雑誌の雑学に関する連載をまとめた本らしい。
学者や作家の方が、独学について語った連載内容が集約された本だ。

苦しい学びは続かない

東大経済学部教授の柳川範之さんの回がよかった。

独学が好きだが、あまり独学という言葉が好きではない。
なぜかストイックで苦を連想するニュアンスを纏っているからだ。
独学することは楽しくありたい。楽しくなければ続かない。

「そんなにうまくできるわけではないんです。計画したことをの八割はできません」

自身が失敗を重ねて、ようやく見出した独学の真髄は「目標は達成できない」
といことだったようだ。

大体、目標を立てる際の基準なんていい加減だ。
なんとなくの直感、インスピレーションで目標を決めてしまうことが殆どではないだろうか。それなのに、その目標に縛られて、達成できなかったら自己肯定感がごっそりと削られる。適当に立てた目標に、追い詰められてる。そんなことを僕らは繰り返している。
だから、そもそもそんな目標など達成できないものだと「理解」して余計な感情など抱かないほうがいい。

いつの間にか何かを「学ぶ」という目的が、決めた手段を”こなす”ことに入れ替わってしまう。このような目的と手段の混同は、独学に限らず、個人でも組織でもしばしば起こることだ。

この目的と手段が入れ替わる、あやふやになる、という事態は、本当に滑稽な程よく起こる事だ。人間は本当に賢くない。気づけば思考停止してしまう。『なんのためにこれを勉強しているんだろう』と問い直させる機会があったほうがいいと、著者は述べる。

『なぜ』に触れない学びは苦痛を伴いやすいものである。目的が学ぶ事自体であって、学ぶことが楽しければ、それはそれで結構であり、正しい勉強だ。

なぜ勉強するのかを見失って、苦痛を伴う、義務感でするような勉強などはまっぴらごめんである。

独学は楽しくありたいですね。

以上、ケンゴンでした。
それではヒュッゲな一日を。